現代語訳&解説

前段の解説

「朕惟フニ」(ちん、おもうに)の朕は天皇の第一人称です。昔中国の皇帝が自分のことをこう呼んだことから、日本においても天皇が自分のことをこのように称するようになったのです。「惟フニ」(おもうに)は思うと同じ意味ですが、やや強い響きがあるとされています。確信するに近いニュアンスだそうです。

天皇が詔勅を出される場合、命令調のものはなく、全てこのように「私はこのように思いますが、国民の皆さんはどうですか」、という提案型になっているのです。

 

 

「我カ皇祖皇宗」(わがこうそこうそう)の「皇祖」は神話時代の神々のことをいい、皇宗とは神武天皇以来の歴代の天皇を指しています。文部省の教育勅語の英訳文にもOURと訳しているといっておられます。ということは、「我ガ皇祖皇宗」は 天皇だけでなく、日本民族全ての命の根源であるということですので、天皇のご先祖様だけではなく、私達の亡くなられたご先祖様も含まれます。

 

「國ヲ筆ムルコト宏遠ニ」(くにをはじむること、こうえんに)わが国の建国を宣言されたのは神武天皇であって、それは2670年前とされています。それを国が始まったのははるか昔であることを表現したのが、この行です。なお、「宏遠」は広く遠いという意味です。

 

「徳ヲ樹ツルコト深厚ナリ」(とくをたつること、しんこうなり)何が正しく何が間違っているかという価値判断の基準が遠い昔から、人生観の一番深いところに根ざして受け継がれてき たということ。この日本では外来の文化を受け入れるよりもっと遠い時代から、本質的な善悪の判断が民族生活の奥深くに培われてきたという歴史的体験。日本というのはもともと道徳、徳育が建国の基本となっていたわけです。日本人が持つ「美徳」といわれるものです。


井上は『言霊』という彼が書き残した文章の中で、こう説明しています。「うしはく」というのは西洋で「支配する」という意味で使われている言葉と同じである。すなわち、日本では豪族が私物化した土地を、権力をもって支配するというような場合にこれが使われている。

 それに対し「しらす」の意味は、同じ治めるという意味でもまったく違う。「しらす」は「知る」を語源にしており、天皇はまず民の心、すなわち国民の喜びや悲しみ、願い、あるいは神々の心を知り、それをそのまま鏡に映すように、わが心に写し取って、それと自己を同一化し自ら無にしようとされるという意味である。この「しらす」の理念こそが国体の根本であると確信しました。

 

「我カ臣民、克ク忠ニ、克ク孝ニ」(わがしんみん、よくちゅうに、よくこうに)臣民(日本国民)は天皇、すなわち、国家に対してよく忠義を尽くしたという意味です。そして、「孝」は親孝行の意味ですが、天皇が国民に対して「皆さんが天皇に対してよく孝行をした」というのは、天皇と国民とが親子になぞらえられているわけです。ここに天皇と国民とが一体になっている思想【君臣一如】が現われています。すなわち、一家の中心に家長としての天皇があって、そのもとに家族としての国民があったのです。天皇が親で国民がその子供であるともいえます。

 

天皇が国民をおもう気持ち=大御宝

反対に天皇をおもう気持ち=大御心

 

人民を力で支配し搾取する外国の国王や皇帝とは全く違うということは、日本国民が一番知っています。その昭和天皇が、終戦直後全国を行幸されたとき、どれだけ多くの国民が勇気付けられたことか。

 

また、昭和天皇は終戦後食糧不足に苦しむ日本国民を救うべく、マッカーサー占領軍総司令官を訪ね、

「戦争の責任は全て私にある。私はどのような責任をも取る。皇室には世界的に見ても価値のある財宝が少しはある。これと引き換えに国民に食料を」

 

とうったえられたことがありました。そして、アメリカは皇室の財宝を受け取ることなく、MSA援助と称する食料援助が始まったのです。まずい脱脂粉乳でしたが、これが日本の子供たちの栄養源になったことは間違いありません。

天皇と国民が親子であるという証左の1つでしょうし、親が子を思い、子が親を思う「無償の愛」でつながっている証でもあります。

 

「億兆心ヲ一ニシテ」(おくちょう、こころをいつにして)の「億兆」は数の多さを表すもので、

「国民のことをいっています。多くの国民が心を一つにして」という意味になります。

 

「世世厥ノ美ヲ濟セルハ」(よよ、そのびをなせるは)「世世」というのは、代々という意味で、最初にもあった「國ヲ筆ムルコト宏遠ニ」のように、建国以来の長い時代を表しています。「厥ノ美ヲ濟セルハ」はそのような美風(立派な風習、風俗)作ったのは、という意味になります。そして、そのようなというのは、美徳を以って国を治めるということで、道徳、徳育であり、親子の精神をいう「忠孝」であるといえます。

 

「此レ我カ國体ノ精華ニシテ」(これ、わがこくたいの、せいかにして)は「このようにわが国が美風を作ったのは、わが国が優れていて、麗しいからである」との意味になります。「国体」というのは国柄でしょうか。

 

「教育ノ淵源亦實ニ此ニ存ス」(きょういくの、えんげん、また、じつに、ここにそんす)は「教育の源は確かにここにあります」との意味になります。「ここ」というのは前段の「此レ」と同じであって、道徳、徳育、そして、親子の精神をいう「忠孝」であるといえます。

 

「是ノ如キハ」(かくのごときは)は「以上述べてきた事柄は」という意味になります。すなわち、道徳、徳育、忠孝の精神を基本とした、15の徳目のことをいっています。

 

「獨リ朕カ忠良ノ臣民タルノミナラス」(ひとり、ちんが、ちゅうりょうの、しんみんたる、のみならず)は「単に天皇の子としての忠実で善良な国民の皆さんだけではなしに」という意味になります。

 

 

「又以テ爾祖先ノ遺風ヲ顕彰スルニ足ラン」(また、もって、なんじ、そせんの、いふうを、けんしょうするに、たらん)の「遺風」とは祖先が残した美風(徳を以って国を治めるという立派な風習)のことです。また、「顕彰」は表し明らかにするという意味ですので、全体としては、「また、国民の皆さんの祖先が作り上げてきた徳を以って国を治めるという立派な風習を表し、明らかにすることができるであろう」ということになります。

 



 中段の解説

 

「爾臣民」(なんじしんみん)というのは、現代語に直すならば、「国民の皆様」と天皇が親しく国民に呼びかけられる表現です。

 

「父母ニ孝ニ」(ふぼにこうに)は文字通り両親に親孝行をしましょうという意味です。最近では要介護となった両親を、さっさと介護施設に放り込む風潮が見られますが、「もう少し頑張って面倒を見たらどうですか」というように解釈もできます。

 

「兄弟ニ友ニ」(けいていに、ゆうに)は「兄弟仲良くしましょう」

 

「夫婦相和シ」(ふうふ、あいわし)は「夫婦は互いに仲睦まじくしましょう」

 

「朋友相信シ」(ほうゆうあいしんじ)は「友人同士は互いに信じ合いましょう」

 

「恭儉己ヲ持シ」(きょうけんおのれをじし)は「人に対して恭しく、自分の行いは慎み深くし、それを自身が持ち続けて行く」という意味になります。すなわち、「常に身をつつしみ謙虚でありなさい」ということにもなるでしょう。目上の人を敬い、礼儀正しくするという意味でもあり「驕り高ぶることなく、謙虚でいましょう」といえます。

 

「博愛衆ニ及ホシ」(はくあい、しゅうに、およぼし)は「博愛」広く平等に愛するということですし、「衆ニ及ホシ」は多くの人に及ぶようにするということですので、「世の中の人には差別なく親切に接しましょう」となります。

 

「學ヲ修メ、業ヲ習ヒ」(がくを、おさめ、ぎょうをならい)は「よく勉強をするとともに、職を手につけましょう」という意味です。現代的にいうならば、専門的な職能を習得しようということになるでしょう。

明治以降、日本が西洋文明を取り入れ、文明的にも経済的にも世界列強に追いついたのですが、教育はその基ともいえます。江戸時代には、武士の子弟は藩校で学ぶチャンスがあり、高度な教育がなされていましたし、一般庶民は寺子屋における教育があって、読み書きそろばんが日本国民に広く行き渡っていたのです。この教育が明治以降の急速な近代化を実現したともいえます。

 

「以テ知能ヲ啓發シ」(もって、ちのうを、けいはつし)の「以って」は「學ヲ修メ、業ヲ習」うことによってできた知能をもってという意味になります。知能は知識や能力です。「啓発」は発揮するという意味ですので、「よく勉強し、手につけた職の能力を発揮して世の中の役に立ちましょう」ということになります。

 

「徳器ヲ成就シ」(とっきを、じょうじゅし)の「徳」は人徳のことですが、立派な行いを意味します。「器」は器量のことで、立派な行いができる才能です。成就は完成させるとの意味でしょう。前段にも「徳ヲ樹ツルコト深厚ナリ」(とくを、たつること、しんこうなり)と表現されており、「徳育」「道徳」が日本の建国の基本となっていたのです。従って、この教育勅語においても、道徳を基本においているのです。後段の最後においても「咸其徳ヲ一ニセンコトヲ庶幾フ」(みな、そのとくを、いつにせんことを、こいねがう)と表現して、教育勅語全体が「徳」、すなわち、日本国民に徳を植え付けようとすることを基本にしています。

 

「進ンテ公益ヲ廣メ」(すすんで、こうえきを、ひろめ)は「さらに一歩進めて、公の利益のためになろう」という意味です。前段にあった勉強をし、職を手につけ、知識や能力を発揮できるようになり、立派な行いができるように、人格を磨いたならば、それらを自分の利益だけではなしに、公の利益のためにも使いましょう、また、そのような考え方を世の中に押し広めて行きましょう、ということになります。

 

「世務ヲ開キ」(せいむをひらき)の世務は世の中のつとめですが、世の中に役立つ、すなわち、公益のための諸事です。それらを開発しましょうということです。それは仕事であり、任務、システム、ソフトウエア等々であります。休業補償をしたり、車が売れるように補助金を出したり、失業者が仕事を見つけるための事業を行ったり、介護施設の充実を図ったりするのも「世務」に入るでしょう。

 

「常ニ國憲ヲ重シ、國法ニ遵ヒ」(つねに、こっけんを、おもんじ、こくほうに、したがい)は、日常、国の憲法を尊重し、法律や規則をよく守りましょうという意味です。現代流にいえば、順法精神、コンプライアンスです。

 

「一旦緩急アレバ、義勇公ニ奉シ」(いったん、かんきゅうあれば、ぎゆうこうにほうじ)は、ひとたび国に重大事変が起これば、国民は正義と勇気を持って、国の利益のために一身を捧げましょう、という意味になります。重大事変とは、第2次大戦で敗戦した日本は、国民全体が軍国主義を嫌う余り、自らの国を守るということすら嫌うようになっているのではないかと心配になりますが、平時に魚雷を発射し、韓国の哨戒艇を沈没させてしまった北朝鮮が近くにあるという現実。いつ何時日本がそのようなトラブルに巻き込まれないとも限りません。軍事ということにも、もう少し日本は意を注ぐ必要があるものと考えます。また、この重大事変というのは、戦争とは限りません。震災になれば多くの国民がボランティアで被災地に駆けつけ避難民の救済や援助に当たったのも、まさに義勇公に奉じたのです。暴力団までもが救済や復興に手を貸した話しがありますね。

 

「以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」(もって、てんじょう、むきゅうの、こううんを、ふよくすべし)の「天壌」は天と地のことで日本の国のことをいっています。「無窮」は極まりないこと、永遠であること、「皇運」は国の運命、「扶翼」は助けるという意味です。すなわち、以上15項目の徳目を実行することにより、日本の国が永遠に栄えるように国民全体が助けなければならない、ということになります。

 

教育勅語を否定する方は、「公」は全体、それは「私」という個人に対立する。即ち「公」 か「私」か、そのどちらをとるかと考えるのですが、一体それでいいのか。

 

勿論これまで歴史上に存在した中国やアジア、ヨーロッパなど多くの専制国家では明 らかに「公」と「私」は対立していた。

 

しかし元来、「私」は「公」の中にあり、「公」に包まれて生きている。「公」がなくなれば「私」も存在しないし、 「私」を無視した「公」はあり得ない。そのことに今、世界は徐々に目覚めつつあるように思われますが、実はそのような「公」と「私」のあるべき姿は、日本 では遠い昔から天皇を中心に生きてきたわが国の国柄の基本を成すものだったのです。

 

 

従ってこの勅語のお言葉に接するときには、そのような日本の文化伝統、 国柄の在り方に深く思いを寄せて詠むべきであって「公」と「私」は元来両立しないものだというような、誤った判断からものを見ることはあってはならないこ となのです。


後段の解説

 

「斯ノ道ハ實ニ我カ皇祖皇宗ノ遺訓ニシテ」(このみちは、じつに、わがこうそこうそうの、いくんにして)は、「斯ノ道というのは」以上述べてきた徳育を基本とした15の徳目のことです。「遺訓」は祖先の残した教えですので、全体としては「徳育を基本とした15の徳目は、歴代天皇の残された教えであって」ということになります。

 

「子孫臣民ノ倶ニ遵守スヘキ所」(しそん、しんみんの、ともに、じゅんしゅすべきところ)の「子孫臣民」は天皇と国民を親子になぞらえていますので、子孫は国民を指します。従って、子孫臣民は両方とも国民ということになります。

「遵守」は従い守るという意味です。全体としては「国民がこぞってよく従い、守るべきものであるが」ということになります。

 

「之ヲ古今ニ通シテ謬ラス」(これを、ここんに、つうじて、あやまらず)はこの教えは今も昔も将来も間違いないことである」との意味になります。

 

「之ヲ中外ニ施シテ悖ラス」(これを、ちゅうがいに、ほどこして、もとらず)の「施ス」は、適用する、の意味で、皇室皇族と臣民が実践してもという意味です。「悖ラス」は「ものの道理に反しない」という意味です。全体としては、「この教えを皇室皇族と臣民が適用しても、道理にかなっている」という意味になります。

中外を日本と外国と訳すと間違いです。世界で通用する教えではないはずです。

日本人が持って生まれた美徳を磨き大切にしましょうといっているのに世界では通用しません。

イスラム教やキリスト教世界では通用するようには作られていないということです。 

 

「朕、爾臣民ト倶ニ」(ちん、なんじ、しんみんとともに)は「私は国民の皆さんとともに」ということになります。

 

「拳拳服膺シテ」(けんけんふくようして)の「拳拳」は「恭しく捧げ持つこと」、「服膺」は「服」は身に着けること、「膺」は胸のことです。全体としては「非常に重要視して、心に刻み付ける」ということです。

 

「咸其徳ヲ一ニセンコトヲ庶幾フ」(みなそのとくを、いつにせんことを、こいねがう)の「いつにせんことを」は、「国民全体が一つになって徳目を実践する」との意味になると思います。全体としては、「徳育を基本とする15の徳目を天皇も国民も一緒になって実践することを強く希望する」という意味になります。

 

 

明治231030日はこの詔勅の発布日です。御名御璽は天皇のお名前(明治天皇の御名は「睦仁」でした)、御璽は天皇の印です。原本には天皇はお名前を署名されるのですが、それを外部に発表するときには、全て「御名御璽」とのみ書かれます。現在でも法律が国会を通って、官報に載るときには、御名御璽と印刷されます。

 

 

以上が「教育勅語」の現代語訳 です。